2013年11月22日金曜日

修行論(1)



紅葉の美しい季節となりました。


読書の秋。

現在、元神戸女学院大学教授で合気道家の内田樹先生の著書、「修行論」を拝読しています。

わたしの敬愛するヨーガ行者、成瀬雅春先生との対談本で、内田先生のことを存じ上げました。

じつは、わたくし、先月から、【合気"書"道】を習いはじめました。合気道と書道の師範の先生のもとで。
ヨガと合気道、さらには書道にも、共通項をたくさん見いだすことができて、どの道も、本質は同じなんだなぁと、興味深く学ばせていただいています。


ヨガに、試合はありません。
合気道も、また、然り。

子供の頃から、他人と競争することに、なんの価値も見出せなくて、勝気な人には、どうぞ勝ってください、それであなたの覇権欲が満たされるなら、わたしは喜んで負けます、という帰宅部系だったわたしは、この二つの道に、居場所を見つけたわけです



さて、今回ご紹介する、「修行論」。
冒頭部分ですでにぐっときているので、引用します。




「道場は楽屋であり、道場の外が舞台である。」
(合気道会合気道本部師範 多田宏氏)


「舞台」とは、「真剣勝負の場」のことである。
(中略)
現代における「真剣勝負の場」は、(中略)私が日々生業を立てている「現場」がそれに当たる。

そこで失敗すれば、立場を失い、信用を失い、声望や威信を失い、財貨を失い、場合によっては路頭に迷い、命をすり減らすこともある場のことを「真剣勝負の場」というのなら、「たずきの道(生計の手段)」こそは、私たち非専門家にとっての「真剣勝負の場」である。

そこで私たちの身に備わった生きる知恵と力とを開花させるために役立たないのであれば、それは言葉の厳密な意味における「武術」とは言えまい。
(中略)

その舞台で十分なパフォーマンスを果たし得ることをめざして、道場での稽古はなされなければならない。



これ、まんま、ヨガの練習にもあてはまるなぁと思って。

ヨガマットの上で、1時間なり、自分と向き合って、
呼吸を整えて、ヨガポーズをとって、
汗かいて、リラックスして。

それは何のためかというと、ほかでもない、日常生活において、最大限のパフォーマンスを発揮するためです。


何が言いたいかというと、
ヨガの練習は目的ではなくあくまでも手段、過程であるということ。


どんなに体が柔軟になって、難易度の高いヨガポーズがとれたとしても、
シャバーサナでリラックスして極楽を味わっていたとしても、
日常生活がトラブルだらけでいつも緊張していて体が強張り、心休まる間がなければ、ヨガを練習している意味はありません。


ヨガの聖典、ヨーガスートラに、

Sthira Sukham Asanam

    という言葉があります。

    「安定して、快適なものが、すなわちアーサナ(姿勢・ポーズ)である」

    という意味てす。


    ヨガマットの上でも、日常生活でも、目指すところは、そこにあります。


    自分の体の姿勢、
    自分自身と向き合う姿勢、
    他者と向き合う姿勢。

    そのすべての姿勢が、安定していて快適であるように、ヨガの練習を通じて、呼吸を整え、心身を整えながら、訓練していくのです。



    武道の稽古を通じて私たちが開発しようとしている潜在能力がどういうものであるかは、戦国時代でも、江戸時代でも、大筋では変わらないだろうと私は思っている。


    それはさしあたりは、実践的な意味での生き延びる力である。
    (中略)
    生き延びるためにもっとも重要な能力は、「集団をひとつにまとめる力」である。
    (中略)
    それは端的に言えば、 「他者と共生する技術」、「他者と同化する技術」である。

    私は合気道とは、その技術を専一的に練磨するための訓練の体系ではないかと考えている。
    合気道は「愛と和合の武道」と言われる。



    「ヨガ」というサンスクリットの言葉の意味は、一般的に「つなぐ、ひとつにする、結ぶ」であるといわれています。

    なるほど、「まとめる」という表現はわかりやすいな。

    ヨガをとおして、私たちは、なにをつなぎ、ひとつにし、結び、まとめるのか?

    それは、自分の、心と体、
    自分と、他人。
    自分と、社会、世界、そして宇宙。


    (わたしは、自分を、宇宙の一部、小宇宙で、自分以外は、すべて、大宇宙であると、認識しています。)



    病気や怪我は、自分の心身の不調和から、
    他者との衝突や争いは、自分と他者、社会との不調和から、
    天災や事故は、自分と、時間と空間に切り取られた世界との不調和から、起こると、個人的に思っています。


    その不調和を極力ちいさくし、自分と宇宙を調和させていく、つまり、内田先生の言葉をお借りすると「他者と共生する」、「他者と同化する」ことを、わたしは、ヨガの練習をとおして、身につけようとしています。


    簡単なことではありません。
    正解もゴールもありません。
    完璧も、ありえません。


    毎日が、他者と共生し、自分と、あらゆるものとの調和を高めていくための、修行です。
    毎日が、真剣勝負の本番舞台です。



    もうちょっと読み進めて、またぐっときたところ、ヨガをしている人なら響くであろうところを、ご紹介します。たぶん。


    2013 内田樹「修行論」光文社新書




    大阪南堀江木曜夜ヨガクラス
    TGIT YOGA NIGHT

    おこしやす♪♡☻

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