2014年5月11日日曜日

わっしー

尊敬している日本の哲学者、
鷲田清一先生、通称わっしーの、

哲学バカで
頭でっかちで
生きる意味や使命ばかり
追いかけてた根暗の
わたしの人生をふわりと軽くしてくれた言葉をご紹介。


『(幸福とは、)幸福とは何かについて考えないでいられることです。(中略)自分がいま何かやってる時に、自分のやってることの意味なんて考えようともしない。いま自分がこのことをするのに何か意味があるんやろうとか、自分がここにいることの意味はなんだろうかとか、問うのは幸福じゃないときですよ。』

秘訣


健康で美しくいる秘訣は

身体を、意識しないこと
健康を意識しないこと
自分の、中にある美しさのイメージを忘れること

そうしたら
勝手に健康になるし
美しくなる


身体のことは身体に任せたらいい。
わたしたちは身体を使って、
人様のためにできることを
考えてたらいい。



ありのままに咲く
花のように。

2014年5月3日土曜日

アナと雪の女王

話題の映画、
アナと雪の女王を観てきました。

以下ネタバレ。

魔法使いエルサと
救世主アナ。

愛はすべてを溶かし、治癒し、救い、命を与える光。

セリフにもあったけど
愛することは自分よりもほかの誰かを大切に想うこと。

エルサは自分の魔法の力やアナを傷つけた過去の記憶や本来の自分を隠すように育てられた環境のせいで、人に影響を与えること、人と共にいきることを酷く恐れ、孤独の殻に閉じこもり、愛から遠ざかっていった。

エルサを守るために自分の命を一度は犠牲にしたアナ。アナを失うかもしれないという恐怖から解放された瞬間に再びアナへの愛が溢れ、その愛の力でアナは生き返る。

クライマックスのこのシーンでわたしはいろんなことを思いました。

因縁。
恐怖という愛の発現のブロック。
人の本質は愛であること。
愛の本質は生きたい、生かしたいという生命力であること。

とかね☻



大人気のこの曲のように、ありのままの自分になることも映画のメッセージとしてあったけど
わたしは今回は姉妹愛のほうにぐっときました。


人間の心のしくみ。
恐怖と愛と。ディズニー映画はやはりすてき。


人を愛するために
人から愛されるために
まず自分を愛する。
そのために、ありのままの自分を知り、ありのままの自分でいる。

そんなあたりまえの自分がうまれてきた意味、使命を、しっかり果たしていかないとなと、この映画に教えてもらいました♥︎


DVD買おう。

2014年4月25日金曜日

Life with yoga

ヨガといえば
ここ日本では
ヘルスビューティエクササイズのイメージが強く、たしかにそれもヨガの側面のひとつで、ビジネスプロモーションにはもってこいのヨガの導入部分ではあるのですが。
一方でオカルトチックな宗教チックな仙人がやってるようなイメージもさもありなんですが。


18のときに出合ったヨガを勉強して実践してゆくなかで26歳のいまたどりついた結論は、去年あたりから、ずばり YOGA IS LIFE . Life with yoga.

ヨガマットのうえで、いろんなポーズしたり座って瞑想っぽいことしたり。

その段階はもう自分のなかではすっかり終わってしまったというか、飽きたというか、それはヨガのほんの一部分でしかないと気づいてしまって、そうではなく、生きてるこの時間のすべてがヨガレッスンの時間で、訪れるすべての場所がスタジオで、歩いてても走ってても座ってても寝てても喋ってても食べてても常に瞑想状態で、というのが、ヨガなんじゃないかなあと、まあそんな次第です。



ヨガインストラクター無期限休止宣言をした翌月に椎間板ヘルニアと坐骨神経痛を発症してあぐらも組めなくなって前屈もできなくなって、ますます、life with yoga を実践するしかなくなってきてます。


具体的には、感情に支配されてる人や不平不満をもらす人の荒々しい波動に同調せず、相手を拒絶もせず、ニコッとして相手の感情を鎮めて落ち着いてもらったりとか、
自分が仕事で手一杯のときに何か頼まれたらパッと手を止めてそちらを優先して取り組んだりとか(カルマヨーガ)
周りにいる人たちをみんなわたしの成長のために与えられた使者=天使だと思ったりとか
このヘルニアは、ヨガインストラクターとしてのボルテージを上げるための試練と思って面白がって治療に取り組むとか、
そんな小さなこと。
それこそがヨガ。


人生は、目の前に起きる出来事を、受け入れることの連続。
同じ出来事、同じ出会いも、
受け取り手次第で無限に色形を変える。
どんな出来事も、自分の精神力が向上するように、つまり、自分の可能性を引き出し、器を大きくし、経験値を上げるような、受け入れ方、捉え方をすれば、宝物の経験に変わる。


わたしの思想の根本にあるのは
人生一度きり
ということと

人生は精神力向上エクササイズであるということ


そのなかで出会う人たちの
なにかしらお役に立てたら
インスパイアしあえたら
いいエネルギー交流ができたら

一度きりの人生を与えてくれた
父、母、すべてのご先祖さま、この地球や宇宙を生んで宇宙の摂理を維持してくださっている大いなる力
にその恩を返せると思っています。


まあ、はよヘルニア治るといいなと思います。原因は精神面や過去の記憶、潜在印象、無意識エリアも絡みまくったかなり複雑そうなやつです。絡まったネックレスをほどくように、自分の根源にある解決すべき問題、解放すべき意識やエネルギー、ケリをつけるべき記憶や思い込み、溶かすべき確執や癒着と向き合っていきたいと思います。


このブログ読んでる人いないと思うけど、とりあえずヘルニアになってヨガアーサナができなくなった所感を記録として。



2014年4月5日土曜日

Money



うちにあるヨガマットたち♡

水玉は大親友からの誕生日プレゼント。

ほかはレッスン用。


しばらくレッスン再開のめどはたってませんが、また落ち着いたらこぢんまりとやってゆきたいと思ってます。


四月から、事務の仕事の業務内容と業務形態が変わったのですが、てんやわんやです。

雇用手続き、勤務管理、旅費計算、発注、支払い、会計処理、予算請求・配分・執行、奨学金受給、授業料免除、入学金請求、などなど、学校事務のの総務や会計の仕事をさせていただいています。

わたしはお金の管理や計画的な買い物がちょー苦手。なんとなくの感覚でお金を使うので赤字も多々。Σ(´゚ω゚`;)
いつか克服せなと思いつつ出来ていなくて。

ヨガ教室をやってみて分かったこと、それはヨガ云々よりも、お金をもらう、使うことに対する強い苦手意識とお金の運用が下手くそであることでした。


自分の好きなものを集めたお店を開くこと、
みんなの才能を発揮できる場所を提供すること、
雇用を生み出すことが
高校生の頃からのひそかな夢だけど、
どんな事業をするにしても、大事なのがお金のこと。


お金に関することを学ぶために、
このタイミングでこの仕事にご縁をいただいたのかなぁと都合良く解釈してます。笑


しっかり勉強してきます。


職場の桜。きれい。

2014年3月7日金曜日

人間の建設


人間の建設


去年からハマっている数学者・岡潔(おかきよし)氏と、作家・批評家の小林秀雄氏の対談本。

わたしは岡潔先生の、"知情意"の中でも、"情(緒)"が人間の中心であるとする情緒本質論がとても好きで、強く共感しています。数学の授業は大嫌いだったし高校の全国模試でも順位は後ろから数えた方が早かったけど、岡先生の数式は解いてみたいと思う。


以下は、岡先生自身が子育て中に、赤ん坊の成長を観察することで閃いた人間と世界の「はじまり」についての考察の抜粋。

"自他の別なく、時間というものがないから、これが本当ののどかというものだ。それを仏教で言いますと、涅槃(ねはん)というものになるのですね。
世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情はわかるが、自他の別は感じていない。時間という観念はまだその人の心にできていない。---そういう状態ではないかと思う。" 


お母さんに抱かれてニコニコ安心している最近生まれた友達の赤ちゃんたちを見ていて、赤ちゃんにはしっかり情緒があって、さらに彼らには「今」という時間しかないんだなぁと思った。

社会的には大人になってしまったわたしたちも、赤ちゃんに戻れる瞬間があるように思う。それが、なにかを「創造」しているとき。



情熱に導かれるままに、我と時間を忘れてなにかに集中、没頭しているとき、そこに自他の別(わたしとあなた、という風に自分と世界を切り離して捉える二元論的認識)も、時間という観念(過去・現在・未来の認識)も存在しない。

このとき、わたしたちの内側に備わっている創造性は最大限に発揮される。この宇宙を創造、維持、破壊しつづけている大いなる力(インドではブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神)とダイレクトにつながっている。気がする。


また、自他の別や時間の観念がなければ、そこには闘争も煩悩も恐れも存在しない。

あらゆる闘争、煩悩、恐れは、わたし(という意識)とわたし以外の世界(肉体含む)が別個のもので、一なるもの、永遠なるものではないという幻想から発生し市民権を得ている。

ちなみにこの幻想はサンスクリットではマーヤーと呼ばれ、インドの古典文学でも度々題材になっており、ヨガはマーヤーを取り除き、通常マーヤーに隠されている自分自身と世界の本質に気づくきっかけを与えてくれるものとして五千年以上継承されている。

ヨガや仏教はじめあらゆる宗教が目指すサマーディや涅槃(悟り)の境地は、「情緒や情熱」を伴った「創造」によって、宇宙と一体となることで、その境地にいることすら気づかぬまま、ただ自他の別も時間の観念もない場所に意識がつながることではないかと、この「人間の建設」を拝読してふと思ったのでした。



2014年3月6日木曜日

Jupiter☆

"木星逆行"


わたしは星占い(ホロスコープ) が好きで、ここ7年ほど、太陽、月、惑星の動きは石井ゆかりさんの星占いのサイトや本を参考にいつもチェックしています♪


だからか?たまたまか?

天体のドラマの影響を日々強く受けているように思います。


TGIT YOGA NIGHTの初回クラスは、昨年11月7日(木)でした。この日、《木星Jupiter》が蟹座の位置で逆行を開始しました。

※逆行=地球から見てその惑星が軌道を逆向きに進むように見える現象


そして、本日、3月6日(木)、逆行を終了しました。


石井ゆかりさんの「星ダイアリー」から抜粋すると、星の逆行は、《その星が担っているテーマが止まる・遅延する・後ろ向きに進む・熟成する・水面下でプロセスが進む・戻ってくる》と解釈します。


今日まで逆行していた木星という星が持つ意味は“成長を促される・転機を迎える”。


乙女座のわたしにとって、木星が滞在している蟹座は、《人的ネットワーク・個人としての生き方・将来》というテーマを取り扱います。


ここまでを総合すると、蟹座で木星逆行していた過去四ヶ月は、乙女座のわたしにとって"個人としての生き方について、転機を迎えるにあたり、表面的には一旦ペースを落として、水面下であるプロセスが進む》時間だったと言うことができます。


“木星は哲学の星でもあります。ですから、この時間を自分の信念や予想をじっくり考えることにあて、向かおうとしている場所を再度、検討してみることもできるのです。”

http://jp.tarot.com/astrology/article/jupiter-retrograde


いやはやほんとにそんな時間でした。この四ヶ月。


TGITのヨガレッスン開始にはじまり、

ものすごく自分の過去と近い将来に向き合わされた恋愛、

そして、現在の職場での4月からの栄転に向けた準備。

答えがわからなくて、少し先が見えなくて、毎日そわそわして、安心する間がなくて、落ち着かなくて、めまぐるしかったです。


自分はヨガとどう関わっていきたいのか?

人に教えたいのか?生業にしたいのか?副業にとどめておくのか?ただ学びたいだけなのか?ヨガ哲学を日常に落とし込みたいだけなのか?

本当に悩みました。


そして先週、現在の職場での昇格が運良く決まり、天命が下りたと感じました。この決定については、全身全霊でしっくりきています。魂が望んでいた道に進めた喜びと安心の感覚があります。笑

そうして、この四ヶ月の、心の《迷い》が生み出した重荷をすべて下ろすことができました。


今回の蟹座での木星逆行中、個人的にいろんな面ですごく成長できたように感じます。渦中はしんどかったけど、いまとなれば、すべてつながってて、すべてに意味があったんだなぁとしみじみ思えます。




TGITでの経験は、宝です。

出会えたお客さまは、神様です。


この四ヶ月、わたしの進むべき道を照らしていただいたことに感謝します



ホロスコープで、惑星の動きを知っておくと、人生に行き詰まった時も、お空のせいにできるので、気楽です。笑


↑昔親友にプレゼントしてもらって家にあった宇宙カレンダー♡天体の動きがわかりやすくて、最高にたのしめた♡


石井ゆかりさんの星占いコラムは

ほんとにほんとにおすすめです。

http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/




2014年3月5日水曜日

而今

      

而今(じこん)という日本酒に出合いました。

友人が呑んでいて
味見させてもらったら
めっちゃおいしかった♡

わたしはお酒は嗜む程度しか飲めないし、利き酒もできないけれど、こちらは口に含んだ瞬間いろんなうまみが調和しながら口の中に広がって、その深い味わいに、すべての感覚器官が瞬時に味覚ただひとつに集中させられているように錯覚するほど、魅力的なお酒でした。
(ほめすぎ?笑)

それに、"而今"というお酒の名前の漢字の並びと音の響きが気になって、意味を調べてみたら、
今この瞬間
という意味でした。そのまんまやけど。


禅宗の道元禅師はこの言葉を使い
今このときをただ懸命に生き抜く
ことの大切さを説いたそうな。


名前のとおり、今この瞬間、"而今"を味わう自分=生きてる自分を意識し、舌で味わえることの幸せを享受できたお酒でした♡(p*'∀`*q)

オチなし。笑

2014年2月27日木曜日

南堀江ヨガクラス クローズのお知らせ

【大切なお知らせ】

※最初に断っておきます。長文です。

ごめんなさい。



いつもTGIT YOGA NIGHTのブログをご覧いただきありがとうございます。


主催のChisatoです。


去年の11月にはじめた南堀江での木曜夜ヨガクラスですが、本業(事務職)の都合により、この4月より、定期的に開催するのが難しくなりました。

(勤務地および勤務形態が変わることが昨日正式に決まりました。自ら望んだ昇格です♡)


せっかくみなさまに楽しんでいただいていたのですが、誠に勝手ながら、南堀江でのヨガクラスは、2014年3月末でクローズします。

(※クラスにご参加いただいているお客様には事前に直接お伝えしております。)

自分に正直に向き合い、自分の本質に気づき、本質を磨き、高めていくのに有効な道具であるヨガは、わたしの人生の一部であり、ヨガをとおして学べる自分自身に関する情報や知識は無限であると感じています。わたしがヨガにハマり、自分の存在そのものに感謝できるようになった理由はここにあります。



またいつか、どこかでヨガの学びを還元するクラスを開催できるよう、これからも心身共にヨガの修練を重ねてまいります。それまでは、一組織人として、引き続き社会に貢献すべく、一層努力してまいります。



公私混同であることをなにとぞお許しくださいませ。



クラスを運営するにあたり、たくさんの方に応援していただき、サポートしていただき、心より感謝しております。


みなさまとの出会い、そしてヨガクラスをとおして学ばせていただいたことは計り知れません。



大変短い期間ではございましたが、わたしのわがままにお付き合いいただき、また未熟で幼いわたしの成長を促していただき、本当にありがとうございました!!



ちなみに♪

3月の南堀江ヨガクラスは

6 , 13 , 20 , 27日の木曜夜7:00より開催いたします♡


クラス参加料金は、感謝を込めまして、

3月中はずーっと

すべての方、1回¥1,000円とさせていただきます♡チケットをお持ちの方は、3月中にお使いくださいませ♪


みなさまとヨガをとおしてつながれることを、心より楽しみにしております☆

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


長文失礼いたしました。



2014年2月27日

TGIT YOGA NIGHT

Chisato

2014年2月22日土曜日

ライオンキング 名言


ディズニーアニメ、ライオンキング。

だいすきな街ニューヨークのブロードウェイで観た舞台は圧巻でした。


 



I miss New York City so bad.



ラインキングのアニメは小学生のころからよく家で観ていました。
主題歌、Circle of Lifeを聞くと元気が出ます。

最近、アニメを改めて観たときにぐさっと刺さるシーンがあったのでご紹介。


まずはここ。
主人公のライオン、シンバがおさるのラフィキ(王国の祈祷師)に導かれるままに、草原の水たまりに映る自分自身をよ~く見つめると、そこに元国王である亡き父ムファサが亡霊として現れ、自分の本来の使命(王位継承)を放棄してハクナマタタ~と呑気に唄うシンバの目を醒まさせるシーン。

答えは、いつだって、自分の内側にある。ということを教えてくれるシーンです。
ヨガの先生の役割は、このラフィキみたいなもので、生徒さんが自分自身に向き合うきっかけを与えることだと思っています。

このシーンは、ヨガ的には、本来の自分を見失って違う自分を演じている人(シンバ)が、グル※(ラフィキ)と出会い、瞑想(水たまりに映る自分を見つめる)を推奨され実践してみると、その人はまず今の自分自身を静かに観察することからはじめ、じょじょに深い瞑想状態に入り、イーシュワラ※(ムファサ)と出会い、本来の自分の役割(サンカルパ※)を思い出し、果たしていく、という一連の意識の覚醒の流れとして見ることができます。

※グル=師匠、先生  ※イーシュワラ=世界全体、自在神、創造主
※サンカルパ=この世に生まれてくる前に決めてきたこと(決意)。自分が持ちうる意思、誓い、願いのようなもの。


では実際にこのシーンを観てみましょう。英語版です。
 
http://www.youtube.com/watch?v=O7fXfCZ4sB4

"Look inside yourself Simba. You are more than what you have become. You must take your place in the circle of life." (自分を見つめろシンバ。今のお前は本当のお前ではない。生きるべき世界で、役目を果たせ)
"Remember who you are"(思い出せ お前が誰かを). by亡霊ムファサ


自分が誰かを「忘れる」、自分の役割を「思い出す」ということはつまり
誰しも自分自身が誰であるか、何であるか、ということをもともと知っている、記憶している、ということ。

「自分がわからない」人はひとりもいないのだと思います。




つぎ。
上のシーンの続き。

目が覚めたシンバは「風向きが変わった」と言います。ラフィキは「変化はええもんだ」と言います。

しかし、叔父スカーの策略とは知らず、父ムファサは自分が原因で亡くなったと思い込んでいるシンバは、その過去を思い出すたびに罪悪感で胸が痛み、過去と向き合うこと、つまり自分と向き合うことが怖くてたまらなくて、王国に戻って王位を継承する勇気が出ないでいます。

そんな、過去にとらわれ罪悪感にさいなまれ弱音を吐くシンバにラフィキが喝を入れるシーン。

http://www.youtube.com/watch?v=dZfGTL2PY3E

"It doesn'r matter, it's in the past.
Past can hurt but from the way I see it, you can either run from it ...or learn from it."
(もう過去のことだ忘れるんじゃ!過去は痛むもんじゃ。でもお前はそこから逃げ出すことができる。それに、学ぶことも。)Byラフィキ


過去にしがみつくのも、過去から逃げるのも、過去から学ぶのも、自分。

先日のマスター・スダカーのハタヨガ講座で、なにかにこだわったりしがみついたりすると、どんどん人は背中を丸めこんでそれを離すまいと猫背になり、また、自分が傷つくことを恐れると、同じように背中を丸めこんで自分を守ろうとして、その姿勢で固まってしまうと教わりました。

背骨を動かし柔軟にするヴィヤガラーサナ(トラのポーズ)が心の執着の解放につながる所以はここにあるみたいです。


自分としっかり向き合うことの大切さ、
過去に居座らず、過去から学んで、今に活かすこと。

そんなことを教えてくれるライオンキングのお気に入りのシーンのご紹介でした♡

2014年2月5日水曜日

こころ 夏目漱石 ダイジェスト



愛読しているブロガーさんが読書感想文を書いていて久々に読みたくなったこちら。

高校の教科書にも掲載されているから多くの方が一度は目を通したことがあるであろう、夏目漱石の「こころ」。

高2のとき教科書で読んで、そのあと夏休みに文庫本で読み直して(当時一年に読書感想文用の本を含めて2,3冊しか本を読まなかったので鮮明に覚えてる)、大学時代に一度読み直して、で、今回3回目。

同じ本なのに、読むのは同じ自分なのに、響く箇所や届くメッセージは、読む時によってこうも大きく変化するものなのか、と、小説と自らの多様性に驚いています。


今回自分にグサっと刺さった箇所をバーチャル付箋、マーカーがわりに感想と考察と共に書き残しておきます。

ちなみに( )内は発言者。

全文は
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html
ここから読めます♡
 

⚫︎自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出す程に奥さんは現代的ではなかった。奥さんはそれよりもっと底のほうに沈んだ心を大事にしているらしく見えた。(わたし)

→現代人、やりがち。人間のする話のほとんどは承認欲求からきている。このブログ然り。
「現代的」という表現から、明治時代より前の日本人は理や知よりも、心を大事にしていたとみえる。
 

⚫︎「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。
そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。
平生はみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」(先生)

→みんな本質的には悪でも善でもない普通(中庸・ニュートラル)の人。いざという間際=利己心が働く時や守りに入る時に、その対象に対してのみ、悪に傾き得る。


⚫︎「小供に学問をさせるのも、良し悪しだね。折角修行をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ。」(わたしの父)

→就学や就労にともなう親子、家族の分離に違和感を覚える。と、インドにヨガを学びにいきたいわたしが言う矛盾。


⚫︎「私はこういう矛盾な人間なのです。或は私の脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかも知れません。私はこの点に於ても充分私のを認めています。」(先生)

→過去は目には見えない、いまここにないものだけど、たしかにいまここに生きる人間の現実を圧迫する。過去への執着は、自我への執着。生命エネルギーの浪費。自由の制限をもたらすだけ。



⚫︎「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴せかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。」(先生)

→ここ読んだ時、ブルっときた。ノ)゚Д゚(ヽ
「先生」は、誰にも口外したことのない自分の秘密を「わたし」に正直に吐露することで、永遠の命をいただいた模様。
「わたし」が「先生」からたった一人で引き継いだもの、請け負ったもの重さ、大きさを考えるぞっとした。
安易に他人の秘密や過去を覗いたり暴いたりするべきではないという教訓に思われる。
 
 


⚫︎「香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。」(先生)

→ここ読んだ時、(まぁここに限らず)漱石さんは天才だと思った。喩えが的確で豊富な人に憧れる。物事の本質を理解した上でそれを万人に分かるように説明できるという点で。
この箇所は喩えがわかりやすいだけでなく、詩的で美しい。何度も吟味したくなるお気に入りの一節♡



⚫︎私はそれまで未亡人の風采や態度から推して、この御嬢さんの凡てを想像していたのです。(中略)ところがその推測が、御嬢さんの顔を見た瞬間に、悉く打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂が新らしく入って来ました。私はそれから床の正面に活けてある花が厭でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。(先生)

→これも、人や物はすべてニュートラルで、それを見る人の独断と偏見(色眼鏡)で、美しくも醜くも変わる、ということの表現。思考、想像の範疇に収まる程度の想いは、恋とは呼べないんだろうな。反省。



⚫︎本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。(中略)もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性慾が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。(先生)

→宗教が愛や禁欲を語りたがるゆえん。先生、人をこんな境地で愛せるひとなのに。泣けてくる。



●(Kは)意思の力を養って強い人になるのが自分の考だと云うのです。それになるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、まるで酔興です。その上窮屈な境遇にいる彼の意志は、ちっとも強くなっていないのです。彼は寧ろ神経衰弱に罹っている位なのです。(先生)

→ヨガを本腰入れて勉強しはじめたころのわたしは傍から見たらこんな感じだったんだろうな。食べるものや生活習慣や行く場所や会う人を限定する・・・・なんて窮屈な人間だったんだろう。ブッダも苦行は必要ないと言ってくれてるのに。



●つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時に尤も迂遠な愛の実際家だったのです。(先生)

→「御嬢さん」への想いを募らせた「先生」が、恋の三角関係について頭でいろいろ考えすぎて一歩も行動に移せず至った結論。
迂遠な愛の実際家を脱出しようと思います。



(「K」を自殺に追い込んだ決定打、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」という発言について)要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。(先生)

→「先生」は「K」を責めたかったわけじゃない。自分の利益を守りたかっただけ。というのがつらい。人は人を責める時、九割九分で自分を守っている。



●もしKと私がたった二人嚝野の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。然し奥には人がいます。私の自然はすぐ其所で食い留められてしまったのです。(先生)

→謝りたいのに意地があって、周りを気にして、謝れないとき。よくある。
文中に「自然」ってよく出てくるけど、自我や自尊心が働いていない状態のことを指してるんだな。


●『おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ』(先生)

→宗教家チックな「K」を「人間らしく」させようと偉そうにしていた「先生」が、「K」に「人間として」負けたことを認めた瞬間の屈辱は計り知れない



以上。


ヨガも読書も
どちらも抱え込みがち、隠しがちな「自我」を外に出してくれる道具。


 

2014年1月20日月曜日

カルマ・ヨーガ(働きのヨーガ)


インドの聖人、スワミ・ヴィヴェーカーナンダさんの
「カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ」 読了。


一言で言えば、
滅私奉公』について書かれた本でした。


ヨガにもいろんな流派があって、
こちらの"カルマ・ヨーガ(働きのヨーガ)"は、自分に与えられた義務を、結果に期待したり執着することなく、不平不満も漏らすことなく、ただ果たすためだけにに果たすことで、解脱(魂が、あらゆる束縛から完全に自由になり、二元性がもたらす苦楽から解放されること)し、至福(悟り)の境地に至ることができると教えています。


以下は私に響いた箇所を独断と偏見でシリーズにまとめて抜粋。
黄色マーカーは特にぐさっときたとこ。

 

*執着シリーズ*

P77
執着は、われわれが報いを期待するところにだけ、やってくるのです

P103
自分が果たすまわり合わせとなった義務の性質についてぶつぶつ言うのは、結果に執着している働き手です。無執着の働き手にとっては、すべての義務は同等に良く、しかも利己主義と欲望を殺して魂の自由を獲得するための能率的な道具です。
 
P146
誰かが自分に頼っている、自分はひとのために善をなすことができる、と思うのは一つの弱さです。この信念はわれわれすべての執着の母であり、この執着から、われわれのすべての苦しみが来るのです。

P174
この、「私と私のもの」が、一切の不幸をつくり出すのです。所有感といっしょに、利己心がやって来ます。そして利己心が不幸をもって来るのです。あらゆる利己的な行為または利己的な思いは、われわれを何ものかに執着させ、たちまちわれわれは奴隷にされてしまいます。(中略)そしてわれわれが「私と私のもの」と言えば言うほど奴隷状態はひどくなり、不幸も大きくなります。



*勘違い是正シリーズ*

P74
利己的な働きは奴隷の労働なのです。
 
P92
私は、宇宙の標準ではありません。私が自分を世界に適応させなければならないのであって、世界が私に適応しなければならないのではありません。
 
P140
あなたが世界に与えるものは、たいして立派なものではありません。あなたが無執着の感情をわがものとしたときには、もう、あなたにとっては善いも悪いもないでしょう。利己性だけが、善悪の区別をつくるのです

P148
誰であれ、自分は世を助けるために生まれて来たのだ、などと考えるのは、まったくのナンセンスです。それは要するに、高慢です。善徳のようなふりをした利己性です。




*義務シリーズ*
 
P32
われわれの第一の義務は、自分自身を憎まない、ということです。

P97
母親の立場はこの世で最高のものです。そこで最高の非利己性を学びかつ実践する唯一の場なのですから。
(中略)まず第一に子供たちのことを、それから彼女自身のことを考えるのが、母親の義務です。(中略)向上するたった一つの道は、自分の前に与えられた義務を果たすことです。


*二元性克服シリーズ*
 
P38
われわれは、いかなる理想をも冷笑する権利は持っていないのです。人それぞれが、みずからの理想実現のためにできる限りのことをするがよい。私があなたの標準で評価されることも正しくなければ、あなたが私の標準で評価されることも正しくありません
 

P114
人生それ自体は善いものでも悪いものでもなく、それを見るわれわれの心の状態によって、善くも悪くもなるのです。火それ自体は、善いものでも悪いものでもありません。それで自分が暖まったときには、われわれは「何という結構な火だ!」と言います。それで指をやけどさせたら、文句を言うでしょう。それでも、火そのものは善くもなければ悪くもないのです。われわれの使い方によって、われわれ内部に善いか悪いかの感情を起こさせのです。


P113
悪い行為を分析しても、そこからどこかで、何らかの善い結果が出るであろうことを知るでしょう。
善い行為の中に、そこにも何かの悪があることを見、また悪のさなかに、その中にもどこかに何か善いものがある、ということを見る人は--------働きの秘密を知った人です。



*滅私シリーズ*

P136
自分を忘れるということが、われわれが人生で学ばなければならない大切な課業なのです。
人は愚かに、自分は自分を幸せにすることができる、と思います。そして長年の苦闘の末ついに、真の幸福は利己心を滅することである、しかも自分以外に、自分を幸福にすることのできる者はいない、ということを知るのです。

 
P139
完全な自己滅却、つまり他者のために喜んで心、肉体および一切のものをささげる、ということなのです。人がこの境地に達したとき、彼はカルマ・ヨーガを完成したのです。

 
抜粋以上。



今わたしが働いている職場で出会った、「この人、神。人格者。」と思う上司は
このカルマ・ヨーガを完成した人だとこの本を読みながら思いました。

●重い荷物などを運んでいる時、どこからともなく手伝いに来てくれる
●誰に対しても、いつ何時も、態度、対応がフラットで一定
●去り際、引き際がさりげなくて後を引かない
●恩を着せない、相手に不必要な気を遣わせない
●話しかけると、いま取り組んでいる仕事の手を止めて話を聞いてくれる
●いつも穏やかで落ち着いている
●腰が低く、でしゃばらず、静かなのに存在感がある
●さわやか、フットワークが軽い

彼の特徴はざっとこんな感じ。

身近にこんな素敵な人がいることは本当にありがたい。
いつも感動する。


こちらの本、ヨギなら1回は読むであろう古代インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」に登場するアルジュナの”義務”についての理解を深めてくれます。時々クリシュナの言葉も引用されています。

講演集なので、口語で読みやすく、たとえもわかりやすい。
ヨガをする人にもしない人にも、すべての"働く"人におすすめの一冊。

また一週間仕事がんばろう!という気にちょっとなれるかもしれません。



(文章引用元)
1989年 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著 「カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ」
日本ヴェーダーンタ協会 

2014年1月12日日曜日

書道とヨガ

昨年の秋から、
合気道の道場で、
合気道と書道両方の師範でいらっしゃる先生について
"合気書道"を学んでいます。



先日の課題は《心身一如(しんしんいちにょ)》。


  • *意味
    仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。
  • ▽「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。by goo辞書

合気道は、心身一如の状態で、行うものだそうで。書道また然り。
心身一如の状態の時、適度な緊張はありつつも心身は安定・リラックスし、そうなると潜在能力を発揮しやすくなるみたいです。



如っていう字、何回練習しても納得いく字にならず。。先生には特に"女"の部分が寸胴でぶさいくだと言われてしまった。笑 ぎくーっ!

手書きの文字ってそのまんま自分のその字に対する潜在&顕在意識の在り方が反映されるような気がします。

特に筆で文字を書いてる時は、いつもより集中している分、自分と、その文字との結びつきが強くなるから、そうなる。

"如"という字、、にがてやけど、
この苦手意識を克服したいので地道に練習します。意識を変えるには実践を伴った単純な反復練習が結局は近道な気がします。頭だけ動かしても何も変わらない。



集中して筆を動かし、書き終わった字を観ることで、自分の心や意識の状態を静かに観察できるという点で、書道はわたしにとっての瞑想です。

この字苦手、って思ったり、きれいに書いたろ、とエゴが出たり、書いてる途中に集中がゆるむと、途端に字はぶさいくになり、バランスや魅力を失う。実に正直です。

これはヨガのアーサナ(ポーズ)も一緒。このポーズわたしにはできない、って思い込んだり、もうちょっとかっこよくポーズしたろ、とエゴ出したり、ヨガと関係ないことを考えながらアーサナをやると、アーサナは快適でも安定でもリラックスでもなんでもない苦行になる。


書道とヨガは
どちらも一人でも大勢でも同時に出来て
各々の心と体をひとつにして(心身一如)
黙って自分自身と向き合い、
正直に自分の本質を表現、観察し、
また、
師につき練習を繰り返すことで
自らの表現力、観察力をさらに高めていけるツール。


書道とヨガの共通点はそれだけに留まらず、その日本におけるルーツを辿れば、行き付く大師匠は、弘法大師空海さま。

昨年初めて訪れた高野山金剛峰寺。

空海さんに敬意を表して
今年もまた高野山、そして、
空海さんも修行された四国八十八箇所霊場へなんちゃってお遍路をしにいこうと思ってます♫興味ある人いっしょにいきましょう。



書道とヨガ。

大好きなこの二つの道を
今年はさらに極めていこうと思います☻


書道では禅語を書くことも多いので、合わせて禅や茶の湯も勉強したいな。


2014年も貪欲に幅広くいろんなことを学ぶつもりなのでまたブログにアウトプットします。おたのしみに。




2014年1月10日金曜日

朝空♡

最近の夜明け前〜日の出♡
冬はほんとに空がきれい♡


水曜日。




今朝。





ねぼけた頭で
こんな夜明け空を見ながらの
太陽礼拝&瞑想は
極楽〜☻♡

2014年1月6日月曜日

初詣と1月のヨガクラス♩


長かった年末年始のお休みも終わり
今日が仕事始めでした。

この年末年始は家族とゆっくり過ごすことができました。
昨年兄が結婚し、家族が一人増えて迎える初めてのお正月♡

従姉妹も昨年出産し、親類がぞくぞくと増えて、嬉しいかぎり。


お正月は、大阪天満宮にお参りしました。写真の【一日一生】は父親の今年の抱負の書き初めを代筆したもの。笑

この言葉が示すように、一日一日、新しい命をいただくように、日々を丁寧に生きたいものです。

ちなみに自分はヨガの目指す境地【梵我一如】を書き初めしましたが、うさんくさいので載せません。笑


4日は、中学時代からの大親友と二人で奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝しました。日本最古の神社といわれる、大神神社。三輪山という山が御神体。湧き水「御神水」は万病を治癒するとか。
大神神社で引いたおみくじは【大吉】でした♡

"神の恵みに感謝し
己を信じて前に進むべし"
ということで、今年も巡礼を続けながら、自分の人生を信頼して、突っ走ります。

今年は山伏修行体験と
四国お遍路巡りと
山ガールデビューを目論んでます♡



1月のマイヨガクラス、
大阪南堀江 木曜夜ヨガクラス
TGIT YOGA NIGHTは、
1/9、16、23、30の木曜日の
夜7時より行います♡♡

今月は"Yoga for Meditation(瞑想のためのヨガ)"と題して、できるだけ目を閉じてヨガを行い、瞑想をあじわいます。75分間のクラスです。

こころ静かにご自分と向き合う時間を提供できれば本望です。瞑想、なかなか家じゃできないもんね。

写真は植物性のアロマキャンドル♩ほっこりいい香りします♡

ぜひぜひ、ふらっとお越しください♡♩
お待ちしております。


ご予約、お問い合わせは
yoga.tgit@gmail.comもしくはFacebookページhttp://facebook.com/yoga.tgitまでお気軽にどうぞ*

2014年1月3日金曜日

2014年 抱負



新年明けましておめでとうございます♡
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




2014年の元旦は
新月でした。

空も地上も、
新しいサイクルの幕開け。

今年は、自分の枠を飛び越え、いろいろなことに挑戦し、新しい自分を発掘、発見する中で、交わってくれる仲間とたくさん思い出を共有していきたいと思います(*´³`*)♡*



"Caminante, no hay camino, 
se hace camino al andar."
                Antonio Machado


「旅人よ、道はない。
一歩踏みだした時に、
道は作られる。」
              アントニオ・マチャード



スペインの詩人のことば。

自分の歩く道は、自分で作る。

結果にとらわれることなく
とにかく一歩を踏み出す。

会いたい人に会い、
やりたいことをやり、
行きたいところに行く。

たくさんの道と交わり、重なり合いながら、自分の道と、ほかの人の道の境界線をゆるめ、つなぎ、広げていく。

そんな一年にしようと思います*

どうぞよろしく♡